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今日、実家で飼っている犬が逝った。

ウチに来て16年。



その前は捨て犬だった。


ウチに着た当初は、人にあまり懐かず、
家人を咬んだりした問題児だったそうだ。


おそらく捨てられる前の飼い主に、あまり可愛がってもらってなかったのだろう。



そんな飼い主だから捨てたのだろうが………。





それから16年。

17〜18歳にはなっていただろう。

幸せに生きたと、今は思う。






ここ1年で急激に歳をとり、

最期の1ヶ月は寝たきり。歩くことも出来なくなっていた。


特にここ2週間程は、日がな一日『ウォン、ウォン』と鳴き続け、

正直、家人もほとほと参っていたのだが……。






今朝程視たときに、既に目をひんむいていて、

『あぁ、もう1〜2日だなぁ』と思っていたのだが、

夕方4時頃に、『もう、ダメかも知れない』と連絡を受け駆けつけた時には、

最後の大きな呼吸を何度か繰り返し、最期の命を燃やし尽くす所だった。


1分間隔で時折呼吸をし、しだいに冷たくなってゆく………。


冷たく…

固く…






ホント、正直なところ

1ヶ月程前に急激に衰えた頃に、『早く、逝ってくれないかなぁ』と思っていた。


もう、立つ事も出来ず、排泄はオムツの中。

寝たきりになり、床ずれが出来、血が流れ……。

『ウォン、ウォン』と鳴き続け

時折、発作的に脚をバタつかせ、もがく。


およそ『生きている』とは言えない状態。

本人もさぞや辛かったと思う。

意識もあったのかどうか…


それでも『命』は尽きないのだ。

『生きる』っていうのはこう言うことなのだ。




恰好悪くても、惨めでも、臭くても、傷ついても

生きるのだ。


本当に、燃え尽きる最期の最後まで

生きるのだ。


涙が出る。




生き物が生きるという、壮絶さに

涙が流れる。


『早く、逝って楽になればいいのに』


でも、生きるのだ。


呼吸を止めないのだ。



凄い。





昨年も実家の、もう一匹の犬が先に逝った。

あれから丁度一年。




生き物の絶命する最後の瞬間に立ち会う度に、

『生きる』ことの壮絶さを感じずにはいられない。




明日あさ、火葬に連れて行き最後の別れをしてくる。



『せば、まんずのぉ』って。







せば、まんずのぉ!
by ks-drive | 2008-11-07 23:24 | 雑記


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