OZAKIという記号

「彼」が亡くなって、20年になるらしい。

私が「彼」を知ったのは、その5〜6年前程、
14〜15歳の頃だった。

私も夢中になった。

その頃は、「彼」が私の中の80〜90%を占め、
寝ても覚めても「彼」の事、「彼」の作品の事を考えていた。


しかし私も40歳になり「彼」の事など
ほとんど考えなくなった。

でも、今現在も私が「唄っている」のも、
もしかしたら「彼」の影響なのかも知れないし、
それを否定もしない。



けれど、その間、私も沢山の事えを得て、そして
沢山の事を失った。






先日のBSJでの『尾崎豊 放熱の証』を観た。

彼の作品に揺り動かされた10代〜80代までの人の、
それぞれの生き方を描いていた。


しかし、今、何故「彼」なのだろう?


特に我々世代(30代〜40代)、
何故未だに「彼」なのだ?



今の私に「彼」は全く必要がない。

音楽的な事でいえば、それこそ全く必要ない!
オヴェーションのアコギも要らない。

なぜ、未だにみんなオヴェーションを持っている?


私はあの日『護国寺』に全てを置いて来たのだ。




未だに「彼」を卒業できない、「彼」にしがみついている
そんな同世代に、私は妙な違和感を感じて仕方ない。



あの日「彼」が唄った『自由になりたくないかい?』は、

「彼」からも自由になるということだ。


私は今「彼」からも自由だ。



「彼」からは多くのモノを得た。

それはもう、ココロの奥に仕舞って、
自分の足(歌)で歩くことこそ


あの日「彼」が言った

『自由になりたくないかい?』だと思っている。




あの日の「彼」も、それを好きだった自分も
否定しないし、むしろ素敵な経験だった。


けれど、


今、私はK's DRIVEとして自分を駆動させているのだから。



せば、まんずのぉ!
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by ks-drive | 2011-02-16 00:10 | 雑記


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