回想

昨日57歳で亡くなった中村勘三郎さんの報道が、
各メディアでなされている。


国民的スター御家族と私事を同時に語るのはいささか恐縮だが、
私の父親も14年前に57歳で亡くなった。

その時の私の年齢も、今の次男七之助さんと同じ28歳。


19で実家を出てから、父が亡くなるまで約10年。

その10年の間、一緒に過ごした時間をトータルしても
数日くらいしか無いのではないだろうか?

普段からあまり口もきかなかったし、病床に伏せていた時も、
同じ様にあまり会話もしなかった。

亡くなる前は、なんだか父親を追い越した様な錯覚も覚えたが、
失ってみて、全く追いついていないとも思うのだ。



父が亡くなる一年前、病気が発覚して実家に戻り、
仕事のピンチヒッターを買って出た。

直接仕事のレクチャーを受けたのは1週間だけで、
あとは毎日病院へ通い、あれこれ指示を受けながら仕事を覚えた。

そして亡くなるまでの1年間で、大方の事は理解したつもりだったし、
もうじき逝ってしまうのは覚悟していたので、
いつ、その時が来ても良い様にココロの段取りも付けていた。

本人ももう長くない事を知っていたし、様々な準備を整えていた。


しかし、いざ亡くなってみると、
その喪失感のデカイ事。

ちょっとしたトラブルや、新しく身に付けなければ成らない事を、
相談する相手がいない…

そんな時は『オヤジだったらどうするかな?』と考えるのだ。

そんな風な時間を3年は過ごしたと思う。

そして10年経った頃から、ようやく“ピンチヒッター”から卒業した
ような気がする。

父親が始めたこの仕事も、今では私の方が3倍も長くやっている。




勘三郎さん親子は私達親子とは違って、
長い年月、それはそれは厳しくも温かい指導の元に
芸道に精進されてきてると思うので、
小さな事に動じることもないと思うが、
きっと『オヤジだったらどうするかな?』と思う場面に出くわすと思う。


私達親子はあまり会話もしなかったし、言っても、
一言二言が口をついて出て来るだけ。

それでも、どこか深い所で理解し合っていたと思うし、
彼がキライな事は私もキライだったし、
食べ物でも何でも、彼の好物は私も口に合った。

男の親と男の子は、どこかライバルの様な意識を持ち合うのでは
ないかと思っている。


生きていれば、来年72歳の巳年の年男か…


今ではあまり『オヤジだったらどうするかな?』と思う事も
無くなってきた。

もう自分のDNAの中に『どうするか』の答えが刻み込まれているからなのかも知れない。


せば、まんずのぉ!
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by Ks-drive | 2012-12-06 19:08 | 雑記


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